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スカーレットの衝撃・再び。名古屋鉄道2008

スカーレットの衝撃・再び。名古屋鉄道2008(2008年撮影アーカイブス)

※本内容は、2008年当時に撮影・編集した記録です。写真に掲載された列車は、2023年現在では運用されていないものもありますので、ご承知おき下さい。

皆様こん**は。今年2008年は、鉄道史に残る0系新幹線の現役引退が控えています。今から最後の撮影を計画されている方も多いでしょう。でも、ちょっと待って下さい!新幹線に勝るとも劣らない鉄道史に残る名車中の名車が、来年度までに引退することをお忘れではないですか?
その列車とは、名古屋鉄道7000系、そう『パノラマカー』です!なんと登場は昭和36年。45年以上前にこんなデザインの車両を作ってしまったのですから、その発想にはただただ絶句ものです。ちなみにこの車両は、デビュー年のブルーリボン賞を、2位のキハ82型(白鳥型)に得票数6倍という大差をつけて受賞。『ブルーリボン賞を穫れなければ、開発・製造・広報責任者は全員クビ』と車内でも大変な気合いの入りようだったそうです。かの『鉄道ファン』誌の創刊号の表紙を飾った列車でもあります。
この車両が登場した背景には、トヨタ自動車のお膝元であり、他県よりも自家用車の普及が早かった愛知県の事情があります。生まれたときから、この車両は自家用車に挑み、勝利することを宿命づけられた車両なのです。

ということで、早朝から名鉄沿線にやってきました。これは三河線の7700系。『セミパノラマカー』と呼ばれた車両です。シートから察するに、もと特急用『白帯車』ですね。

さてさて、いつかも訪れた名電山中駅にやってきましたよ。

早速撮影開始です。まずやってきたのは赤いボディが衝撃的な3000系電車です。

続いて、1000系『パノラマスーパー』です。実は最近広角レンズに凝ってまして、これも広角で撮影したものです。列車が伸びやかに映っていて、私の好みとぴったりです。

続いて、4連のパノラマスーパーです。この4連も、再年度までに引退だとか。

6000系普通車です。

名鉄でも、ステンレスボディの波は押し寄せているようです。絶対赤一色の方がいいと思いますが。。。

パノラマスーパーに増結用編成がついた堂々の8両編成です。

最新鋭の特急2300系です。空港特急『ミュースカイ』の本線版です。数年後には、この形式がほとんどになるのでしょうか?

ようやくやってきました。2008年7月現在、撮影チャンスは一日に数回しかありません。7000系パノラマカーです。すでに優等列車の運用は無く、普通列車で細々と運行されています。前回来たときは、いつでも撮影できたのに。。。時代の流れはなんと早いものでしょうか。

踏切から、パノラマスーパーを捉えました。

名古屋に戻る列車の中で、面白いものを見つけました。速度表示です。通勤列車にまでこんな表示があるのですね。パノラマカーの名残りでしょうか。

さて、ちょっと用事を済ませたあと、金山総合駅にやってきました。ここはJR金山駅名鉄金山駅が融合した駅です(東海道本線中央本線のホームの間に名鉄の駅があります)。こういう駅は、名鉄ならではですね。外は雨となってしまいました。

さあ、やってきました。これからパノラマカーに乗車しますよ。普通列車の豊明行きです。

展望席は鉄道ファンの貸し切り状態です。私も展望席の一番後ろに座りました。みなさん思い思いに記録に残そうとされていますね。

展望席の上にある、乗務員室の入り口です。ここからはしごで登って行くこともあったらしいですが、展望を妨げるという理由から使われなくなったんだとか。

この『禁煙』表示があった場所に速度計があり、100キロを越えると歓声が上がったとか。

これは即窓の補強です。この車両の側窓は連続窓で構成されていますが、それによる車体の強度不足を解決するため、このような補強を入れたそうです。

途中駅で、ミラーに映る7000系です。

列車はあっと言う間に終点、豊明に到着しました。このハシゴを登って運転席に行く姿は独特ですね。

こんなところに後方確認用の窓が。見えるんでしょうかねぇ(笑)。

この書体も名鉄の特徴です。

旋回灯が回ってテールライトに様変わりしたヘッドライト。ヘッドライトの横にあるのはかまぼこ型衝撃吸収油圧ダンパーです。この装置は、1961年11月に木曽川堤駅隣接の踏切でモ7004号が砂利を積載したダンプカーと衝突した際に威力を発揮したことから地元の新聞が「ダンプキラー」と報道して一躍有名となり、今もってファンの間などで語り継がれているそうです。そしてこの『逆さ富士』と呼ばれた行き先表示板。今新車と言っても、ぜんぜん違和感ないですね。いかにこの車両が前衛的であったかがおわかりいただけると思います。この表示板の位置には、かつてフェニックスを刻んだマークがあったそうですね。これほど長い間、活躍できたことはまさしく不死鳥のごとくです。

日本の鉄道史に、大きな衝撃を与えたパノラマカー。この顔を刮目してご覧下さい。他の誰にも似ていない、堂々たるこの勇姿。多くの鉄道ファンに驚きと憧れと夢を与え続けたパノラマカーとも、もうすぐお別れです。もうこんな個性のある車両は現れないのでしょうね。46年もの間活躍してきたパノラマカーに、私は惜しみない拍手を送りたいと思います。