特急おおぞらの鉄道と旅のホームページ

日常のちょっとした旅を記録したページです

半世紀分の『幸せ』を込めて。パノラマカー最期の日

半世紀分の『幸せ』を込めて。パノラマカー最期の日(2009年撮影アーカイブス)

※本内容は、2009年当時に撮影•編集した記録です。写真に掲載された列車は、2023年現在では運用されていないものもありますので、ご承知おき下さい。

皆様こん**は。2009年8月30日。鉄道の歴史に刻まれるであろう名車が、その活躍を終える日がやってきました。それは名鉄パノラマカー。48年、およそ半世紀にわたり、私たちを魅了し続けた名車の最後の日を見届けに、いつもコメントを下さる『181系DC様』と一緒に、今日は名古屋鉄道にやってきました。181系DC様は、学生時代からのパノラマカーのご常連で、就職して間もないころ、このパノラマカーに乗車するために、わざわざ会社の始業40分前に到着するようご自宅を出られていたのだとか。
様々な思い出をくれたパノラマカーとの最後の一日、顛末をご覧ください。
181系DC様とは名古屋集合となったので、たまには変わった経路で行ってみようと京都駅0番ホームにやってきました。

今日私が選択したのは、特急『ひだ』で岐阜まで。岐阜から名鉄に乗って名古屋入りするルートでした

何気なくホームで列車を待っていると、こんな風景に出会いました。女性運転士の歓呼の声が聞こえてきそうです。なかなか凛々しいですね。

中線に、特急『スーパーはくと』がやってきました。

8時32分、定刻通り『ひだ』が入線してきました。休日のせいか、家族連れも多いですね。

さあ、写真もそこそこに、乗り込むことにしましょう。

車内は盛況です。水を買うのを忘れていたので、車内販売はないのか聞いてみたところ、岐阜から常務との事。では自動販売機は、、、故障だそうです。あらら、がっかり(笑)

1時間30分で、岐阜までたどり着きました。ここで名古屋から来る『ひだ5号』と併結するため、一旦引き上げ線に引き上げます。

次の列車の時間が迫っていたので、併結シーンの撮影は断念しました。

で、駆け足でJR岐阜駅を出た私は。。。。

こちらの名鉄岐阜駅にやってきました。歩くと5分くらいでしょうか。

さて、ホームには快特豊橋行き。一部特別車のパノラマスーパー1000系が、私を待っていました。この1000系も、車内に階段(展望席に行くのに階段を上ります)があることがバリアフリーに対応できない、、、という理由で近々引退するそうです。介添人を置くなど、解決の道はいくらでもあると思いますが。。。廃止とは残念な限りです。

さあ、乗り込んでみましょう。絨毯がなかなかおしゃれですね。

列車は岐阜駅を発車しました。この扉部分の速度表示。ちゃんとパノラマスーパーの形になっているところがまたニクイですね。

そんなこんなで、名鉄名古屋通称名駅)に到着です。この写真を撮ったのは、駅員さんが好みのタイプなので。。。。ではなくて、行先表示をご覧ください。2分おきに列車が発着していきますね。ラッシュ時には1分30秒おきに発着しているそうです。行ったと思ったら、もう次の列車が入線してきます。しかも行き先も、扉の位置も全てバラバラ。早回しで発着のシーンを見ているようでした。日本一忙しい駅ですね。

さて、名鉄名古屋駅で181系DC様と合流。駅のきしめん屋でつるつるっと昼食を平らげ、早速列車に乗り込みました。

まずは肩慣らしとばかりに沿線で撮影です。パノラマスーパー1000系の一般車側の顔です。

で、こちらが特別車、パノラマカー側です。全車特別車の編成もあったのですが、今は走っていないそうです。

こちらは通勤車。

名鉄特急のこれからの主役となる2300系です。

さあ、撮影もそこそこに豊明駅にやってきました。もう既に230枚のプラチナチケットが当選した幸運なお客様を乗せて、パノラマカーは入線しており、ホームには黒山の人だかりです。白帯を巻いた7012編成が充当されています。

特徴ある『顔』を捉えました。この混雑の中、カメラを構えるのも大変です。

一旦引き上げ線に入り、ミュージックホーンを鳴らしながら再度豊明駅に戻ってきました。このミュージックホーンも今日で聞き納めです。しっかりと記憶に刻み付けておきたいものです。

手作りのサボを掲示する人、ホームで横断幕を広げる人。『パノラマカー永遠なれ!』と絶叫する人。皆さん想い想いのやり方で、パノラマカーの最期を祝福しておられます。この車両が、いかに人々に愛されていたかが伺えます。

号車表示のところにこんなサボが。なんと17622日も走り続けていたのですね。

豊明駅でパノラマカー発車を見送った私たちは、後続列車で本宿駅へ。本宿駅パノラマカーは40分の休憩のあと、伊奈行きとして出発します。今度は走行写真を狙います。有名撮影地とあって、線路脇は大賑わい。でも、みなさんちゃんとマナーを守って、お互いに譲り合って撮影されています。パノラマカーを好きな人は、気持ちの優しい人が多いのでしょうか?早速やってきたパノラマスーパーで構図の確認。

続いてやってきた通勤列車です。

暑い中、待つこと30分あまり。ミュージックホーンを奏でながら、パノラマカーがゆっくりと近づいてきます。ファンの皆様に、最期の勇姿を焼き付けてもらおうとするかのように、本当にゆっくりと近づいてきました。

この堂々たる姿をご覧ください。これが鉄道史に大きく名を残すパノラマカーの最期の姿です!乗客皆さん手を振っておられます。撮影している方も振り返しています。全ての人々の心がひとつにつながった瞬間でした。今日という日を、私はずっと忘れないでしょう。

撮影を終えた私たちは、最期の出発シーンを見送るため本宿駅へ。この混雑はすごいです。

2009年8月30日14時34分。いよいよ別れのときがやってきました。泣いている人がいます。叫んでいる人がいます。でもどの顔を見ても、そこには、笑顔。半世紀にわたり愛され続けたパノラマカーへの感謝と幸せな笑顔でいっぱいです。
そして、長い、長い、ミュージックホーンをかき鳴らし、パノラマカーは帰らぬ旅路につきました。
「ありがとう!」「お疲れさま!」「さようなら!」どこからともなく沸き起こった拍手が大きな渦になって、赤い車両を包んでいきます。ホームにいた全ての人々の想いが、ひとつになりました。こんなにも人々の気持ちをひとつにできたのは、半世紀走り続けた証。これが、半世紀の重みなんだなとしみじみと感じました。

私は、鉄とプラスチックとゴムの塊でしかない鉄道車両が、まるで生きているように思える理由を肌で感じていました。沿線の人々、ファンの人々、鉄道会社の人々、皆さんの想いが、車両に命を吹き込んでいたのです。半世紀、悲しいときも、嬉しいときも、泣いているときも、笑っているときも、その車両はいつもそこに在りました。これでパノラマカーを目で見ることはできなくなりましたが、今日、この場にいた人々の心の中で、パノラマカーはずっと走り続けることでしょう。そして、パノラマカーを愛した全ての人々へ。皆様の心に、いつまでもパノラマカーが在りますように。私は願わずにはいられません。

もう一度、半世紀の間、人々に笑顔と幸せをくれたパノラマカーへ。ありがとう。17622日、本当にお疲れさまでした。