賑わいの記憶に思いをはせる旅。道央一日散歩
皆様こんにちは。特急おおぞらです。今私用で北海道に来ております。休日の今日、関西では見られない、珍しい路線に来て見ました。なんとその路線は札幌から1時間程度の距離にありながら一日に2本した普通列車が運転されないという路線です。
早速札幌駅にやってきました。ホームの駅そばで軽く食事を済ませます。
その路線の始発駅まで、快速エアポートを利用しました。一般席はロングシートであるため、別料金を払って指定席Uシートを奢ってみました。
今回使用する切符はこれ。道央一日散歩切符です。特急列車には乗れませんが、フリーエリア内は一日乗り放題で2540円とかなりお得な切符です。最初私はこの切符の存在を知らず、普通に切符を買おうとしたのですが、みどりの窓口の駅員さんに教えてもらいました。ありがとう~♬
さて、札幌からおよそ30分で千歳駅にやってきました
今回乗車するのは石勝線です。石勝線は北海道内の大動脈ともいうべき特急街道ですが、普通列車は千歳~追分間がわずか4往復。その先の新夕張までが一日2往復という閑散路線です。やってきたのはキハ150型。JR世代の車両で、一部バスの廃車派生品を使用した気動車です。
車内はこんな感じ。セミクロスシート配置で、そこそこ快適です。ただ、窓が開くのですが、上段が内側にスイングして開くだけ。窓を開けて、風を感じることはできません。
行先表示です。サボ受けもありましたが、使用されていませんでした。
千歳を発車して、南千歳までは電化区間を走り、それなりに幹線の雰囲気ですが、南千歳を発車すると、車窓風景はがらりと変わりました。
いかにも北海道といった景色の中を進みます
南千歳を出発しておよそ15分で追分駅に到着です。この駅は、後でまた訪問します。
追分を発車すると、ますます北海道らしい風景が広がります。
川端駅に到着。この川端駅と追分駅との間には、かつて東追分駅がありましたが、2016年に廃止されています。駅前は、そこそこ民家もありそれなりに乗客も期待できそうな感じがしました。でも、この区間は1日たった2往復。鉄道を利用する人もいないでしょうね。
川端駅を発車すると、小さな峠道に差し掛かります
続いて滝ノ上駅へ。川端駅と滝ノ上駅の間には滝ノ下信号場があります。10年ほど前ですが、この滝ノ下信号場で撮影した思い出があります。
列車は終点の新夕張に到着しました。かつてこの駅から夕張に向かって、石勝線夕張支線が伸びていましたが、2018年に廃止されてしまいました。また東に向かって楓、登川まで支線も伸びていました。いずれも豊富な石炭を運搬する、ドル箱路線であったのですが、石炭の縮小により、いずれも廃止となってしまいました。かつて日本のエネルギーの要であった石炭。その当時の街の賑わいはいまでは想像もできないほどでした。
長大なホームが、かつての栄光を忍ばせてくれます。
こちらは新夕張駅の時刻表です。普通列車はご覧の通り一日3本しかありません。こんな列車をいったい誰が利用するというのでしょうか?
折り返し列車で戻りました。なにせこれを逃すと、夜まで普通列車は来ません。途中の追分で途中下車です。
追分駅の近くに、道の駅あびらがあり、列車が保存されているそうです。乗り継ぎ列車まで40分ほど時間があったので、行っていることにしました。しかし、道の駅は駅から小高い丘を登ったところにあり、ぜいぜい言いながらの登りました。なんと保存されていたのはキハ183型214号車。なつかしい国鉄時代のオリジナル塗装です。引退前に国鉄色に復元された車両が、ここで保存されているようです。緊急事態宣言中のため道の駅は休業。列車の中にも入ることはできませんでした。
再び急坂を駆け下り、追分駅に戻ってきました。追分駅はかつて機関区があり、夕張や幌内の炭鉱からの石炭を苫小牧の港に運び、全国各地に輸送するまさしく要衝となる駅でした。今も残る広大な空き地が、当時の面影を忍ばせてくれます。
さてここからは、室蘭本線で岩見沢を目指します。この区間は日本で最後の蒸気機関車の営業運転が行われていた線区です。今は単行気動車が複線区間をのんびり走るというあまり他では見られない路線となっています。各駅を撮影してみました。まずは三川駅です。
続いて古山駅
そして由仁駅です
由仁駅の周りは、ある程度民家もあり、そこそこ利用者もいそうでした。このあたりは石狩平野の肥沃な大地が広がります。稲作も行われています。
ここから頭に栗という字がつく駅が続きます。まずは栗山駅です。
続いて栗岡駅
最後は栗沢駅です。
丁度菜の花を栽培しているシーズンのようで、甘い香りとともに黄色一色の畑が広がっています。
志文駅に到着しました
追分から50分で、終点の岩見沢に到着です。
石炭に沸き、活気のあったかつての北海道。その活気は遠い過去のものとなってしまい、まるで祭りが終わった後のような寂しい路線となってしまいました。でも、沿線に住む人がある限り、この路線はなくならないのでしょう。いつかこの地域に、また活気が戻ってくることを願って止まない管理人でした。