特急おおぞらの鉄道と旅のホームページ

日常のちょっとした旅を記録したページです

半世紀分の『幸せ』を込めて。パノラマカー最期の日

半世紀分の『幸せ』を込めて。パノラマカー最期の日(2009年撮影アーカイブス)

※本内容は、2009年当時に撮影•編集した記録です。写真に掲載された列車は、2023年現在では運用されていないものもありますので、ご承知おき下さい。

皆様こん**は。2009年8月30日。鉄道の歴史に刻まれるであろう名車が、その活躍を終える日がやってきました。それは名鉄パノラマカー。48年、およそ半世紀にわたり、私たちを魅了し続けた名車の最後の日を見届けに、いつもコメントを下さる『181系DC様』と一緒に、今日は名古屋鉄道にやってきました。181系DC様は、学生時代からのパノラマカーのご常連で、就職して間もないころ、このパノラマカーに乗車するために、わざわざ会社の始業40分前に到着するようご自宅を出られていたのだとか。
様々な思い出をくれたパノラマカーとの最後の一日、顛末をご覧ください。
181系DC様とは名古屋集合となったので、たまには変わった経路で行ってみようと京都駅0番ホームにやってきました。

今日私が選択したのは、特急『ひだ』で岐阜まで。岐阜から名鉄に乗って名古屋入りするルートでした

何気なくホームで列車を待っていると、こんな風景に出会いました。女性運転士の歓呼の声が聞こえてきそうです。なかなか凛々しいですね。

中線に、特急『スーパーはくと』がやってきました。

8時32分、定刻通り『ひだ』が入線してきました。休日のせいか、家族連れも多いですね。

さあ、写真もそこそこに、乗り込むことにしましょう。

車内は盛況です。水を買うのを忘れていたので、車内販売はないのか聞いてみたところ、岐阜から常務との事。では自動販売機は、、、故障だそうです。あらら、がっかり(笑)

1時間30分で、岐阜までたどり着きました。ここで名古屋から来る『ひだ5号』と併結するため、一旦引き上げ線に引き上げます。

次の列車の時間が迫っていたので、併結シーンの撮影は断念しました。

で、駆け足でJR岐阜駅を出た私は。。。。

こちらの名鉄岐阜駅にやってきました。歩くと5分くらいでしょうか。

さて、ホームには快特豊橋行き。一部特別車のパノラマスーパー1000系が、私を待っていました。この1000系も、車内に階段(展望席に行くのに階段を上ります)があることがバリアフリーに対応できない、、、という理由で近々引退するそうです。介添人を置くなど、解決の道はいくらでもあると思いますが。。。廃止とは残念な限りです。

さあ、乗り込んでみましょう。絨毯がなかなかおしゃれですね。

列車は岐阜駅を発車しました。この扉部分の速度表示。ちゃんとパノラマスーパーの形になっているところがまたニクイですね。

そんなこんなで、名鉄名古屋通称名駅)に到着です。この写真を撮ったのは、駅員さんが好みのタイプなので。。。。ではなくて、行先表示をご覧ください。2分おきに列車が発着していきますね。ラッシュ時には1分30秒おきに発着しているそうです。行ったと思ったら、もう次の列車が入線してきます。しかも行き先も、扉の位置も全てバラバラ。早回しで発着のシーンを見ているようでした。日本一忙しい駅ですね。

さて、名鉄名古屋駅で181系DC様と合流。駅のきしめん屋でつるつるっと昼食を平らげ、早速列車に乗り込みました。

まずは肩慣らしとばかりに沿線で撮影です。パノラマスーパー1000系の一般車側の顔です。

で、こちらが特別車、パノラマカー側です。全車特別車の編成もあったのですが、今は走っていないそうです。

こちらは通勤車。

名鉄特急のこれからの主役となる2300系です。

さあ、撮影もそこそこに豊明駅にやってきました。もう既に230枚のプラチナチケットが当選した幸運なお客様を乗せて、パノラマカーは入線しており、ホームには黒山の人だかりです。白帯を巻いた7012編成が充当されています。

特徴ある『顔』を捉えました。この混雑の中、カメラを構えるのも大変です。

一旦引き上げ線に入り、ミュージックホーンを鳴らしながら再度豊明駅に戻ってきました。このミュージックホーンも今日で聞き納めです。しっかりと記憶に刻み付けておきたいものです。

手作りのサボを掲示する人、ホームで横断幕を広げる人。『パノラマカー永遠なれ!』と絶叫する人。皆さん想い想いのやり方で、パノラマカーの最期を祝福しておられます。この車両が、いかに人々に愛されていたかが伺えます。

号車表示のところにこんなサボが。なんと17622日も走り続けていたのですね。

豊明駅でパノラマカー発車を見送った私たちは、後続列車で本宿駅へ。本宿駅パノラマカーは40分の休憩のあと、伊奈行きとして出発します。今度は走行写真を狙います。有名撮影地とあって、線路脇は大賑わい。でも、みなさんちゃんとマナーを守って、お互いに譲り合って撮影されています。パノラマカーを好きな人は、気持ちの優しい人が多いのでしょうか?早速やってきたパノラマスーパーで構図の確認。

続いてやってきた通勤列車です。

暑い中、待つこと30分あまり。ミュージックホーンを奏でながら、パノラマカーがゆっくりと近づいてきます。ファンの皆様に、最期の勇姿を焼き付けてもらおうとするかのように、本当にゆっくりと近づいてきました。

この堂々たる姿をご覧ください。これが鉄道史に大きく名を残すパノラマカーの最期の姿です!乗客皆さん手を振っておられます。撮影している方も振り返しています。全ての人々の心がひとつにつながった瞬間でした。今日という日を、私はずっと忘れないでしょう。

撮影を終えた私たちは、最期の出発シーンを見送るため本宿駅へ。この混雑はすごいです。

2009年8月30日14時34分。いよいよ別れのときがやってきました。泣いている人がいます。叫んでいる人がいます。でもどの顔を見ても、そこには、笑顔。半世紀にわたり愛され続けたパノラマカーへの感謝と幸せな笑顔でいっぱいです。
そして、長い、長い、ミュージックホーンをかき鳴らし、パノラマカーは帰らぬ旅路につきました。
「ありがとう!」「お疲れさま!」「さようなら!」どこからともなく沸き起こった拍手が大きな渦になって、赤い車両を包んでいきます。ホームにいた全ての人々の想いが、ひとつになりました。こんなにも人々の気持ちをひとつにできたのは、半世紀走り続けた証。これが、半世紀の重みなんだなとしみじみと感じました。

私は、鉄とプラスチックとゴムの塊でしかない鉄道車両が、まるで生きているように思える理由を肌で感じていました。沿線の人々、ファンの人々、鉄道会社の人々、皆さんの想いが、車両に命を吹き込んでいたのです。半世紀、悲しいときも、嬉しいときも、泣いているときも、笑っているときも、その車両はいつもそこに在りました。これでパノラマカーを目で見ることはできなくなりましたが、今日、この場にいた人々の心の中で、パノラマカーはずっと走り続けることでしょう。そして、パノラマカーを愛した全ての人々へ。皆様の心に、いつまでもパノラマカーが在りますように。私は願わずにはいられません。

もう一度、半世紀の間、人々に笑顔と幸せをくれたパノラマカーへ。ありがとう。17622日、本当にお疲れさまでした。

スカーレットの衝撃・再び。名古屋鉄道2008

スカーレットの衝撃・再び。名古屋鉄道2008(2008年撮影アーカイブス)

※本内容は、2008年当時に撮影・編集した記録です。写真に掲載された列車は、2023年現在では運用されていないものもありますので、ご承知おき下さい。

皆様こん**は。今年2008年は、鉄道史に残る0系新幹線の現役引退が控えています。今から最後の撮影を計画されている方も多いでしょう。でも、ちょっと待って下さい!新幹線に勝るとも劣らない鉄道史に残る名車中の名車が、来年度までに引退することをお忘れではないですか?
その列車とは、名古屋鉄道7000系、そう『パノラマカー』です!なんと登場は昭和36年。45年以上前にこんなデザインの車両を作ってしまったのですから、その発想にはただただ絶句ものです。ちなみにこの車両は、デビュー年のブルーリボン賞を、2位のキハ82型(白鳥型)に得票数6倍という大差をつけて受賞。『ブルーリボン賞を穫れなければ、開発・製造・広報責任者は全員クビ』と車内でも大変な気合いの入りようだったそうです。かの『鉄道ファン』誌の創刊号の表紙を飾った列車でもあります。
この車両が登場した背景には、トヨタ自動車のお膝元であり、他県よりも自家用車の普及が早かった愛知県の事情があります。生まれたときから、この車両は自家用車に挑み、勝利することを宿命づけられた車両なのです。

ということで、早朝から名鉄沿線にやってきました。これは三河線の7700系。『セミパノラマカー』と呼ばれた車両です。シートから察するに、もと特急用『白帯車』ですね。

さてさて、いつかも訪れた名電山中駅にやってきましたよ。

早速撮影開始です。まずやってきたのは赤いボディが衝撃的な3000系電車です。

続いて、1000系『パノラマスーパー』です。実は最近広角レンズに凝ってまして、これも広角で撮影したものです。列車が伸びやかに映っていて、私の好みとぴったりです。

続いて、4連のパノラマスーパーです。この4連も、再年度までに引退だとか。

6000系普通車です。

名鉄でも、ステンレスボディの波は押し寄せているようです。絶対赤一色の方がいいと思いますが。。。

パノラマスーパーに増結用編成がついた堂々の8両編成です。

最新鋭の特急2300系です。空港特急『ミュースカイ』の本線版です。数年後には、この形式がほとんどになるのでしょうか?

ようやくやってきました。2008年7月現在、撮影チャンスは一日に数回しかありません。7000系パノラマカーです。すでに優等列車の運用は無く、普通列車で細々と運行されています。前回来たときは、いつでも撮影できたのに。。。時代の流れはなんと早いものでしょうか。

踏切から、パノラマスーパーを捉えました。

名古屋に戻る列車の中で、面白いものを見つけました。速度表示です。通勤列車にまでこんな表示があるのですね。パノラマカーの名残りでしょうか。

さて、ちょっと用事を済ませたあと、金山総合駅にやってきました。ここはJR金山駅名鉄金山駅が融合した駅です(東海道本線中央本線のホームの間に名鉄の駅があります)。こういう駅は、名鉄ならではですね。外は雨となってしまいました。

さあ、やってきました。これからパノラマカーに乗車しますよ。普通列車の豊明行きです。

展望席は鉄道ファンの貸し切り状態です。私も展望席の一番後ろに座りました。みなさん思い思いに記録に残そうとされていますね。

展望席の上にある、乗務員室の入り口です。ここからはしごで登って行くこともあったらしいですが、展望を妨げるという理由から使われなくなったんだとか。

この『禁煙』表示があった場所に速度計があり、100キロを越えると歓声が上がったとか。

これは即窓の補強です。この車両の側窓は連続窓で構成されていますが、それによる車体の強度不足を解決するため、このような補強を入れたそうです。

途中駅で、ミラーに映る7000系です。

列車はあっと言う間に終点、豊明に到着しました。このハシゴを登って運転席に行く姿は独特ですね。

こんなところに後方確認用の窓が。見えるんでしょうかねぇ(笑)。

この書体も名鉄の特徴です。

旋回灯が回ってテールライトに様変わりしたヘッドライト。ヘッドライトの横にあるのはかまぼこ型衝撃吸収油圧ダンパーです。この装置は、1961年11月に木曽川堤駅隣接の踏切でモ7004号が砂利を積載したダンプカーと衝突した際に威力を発揮したことから地元の新聞が「ダンプキラー」と報道して一躍有名となり、今もってファンの間などで語り継がれているそうです。そしてこの『逆さ富士』と呼ばれた行き先表示板。今新車と言っても、ぜんぜん違和感ないですね。いかにこの車両が前衛的であったかがおわかりいただけると思います。この表示板の位置には、かつてフェニックスを刻んだマークがあったそうですね。これほど長い間、活躍できたことはまさしく不死鳥のごとくです。

日本の鉄道史に、大きな衝撃を与えたパノラマカー。この顔を刮目してご覧下さい。他の誰にも似ていない、堂々たるこの勇姿。多くの鉄道ファンに驚きと憧れと夢を与え続けたパノラマカーとも、もうすぐお別れです。もうこんな個性のある車両は現れないのでしょうね。46年もの間活躍してきたパノラマカーに、私は惜しみない拍手を送りたいと思います。

 

スカーレットの衝撃。名古屋鉄道撮影記

スカーレットの衝撃。名古屋鉄道撮影記(2004年撮影アーカイブス)

※本内容は、2004年当時に撮影•編集した記録です。写真に掲載された列車は、2023年現在では運用されていないものもありますので、ご承知おき下さい。

いつものように、いつもの如く、出張にカメラを欠かさない管理人です(笑)。東京出張となった私は、ちょっと名古屋で途中下車して未だ乗車した事がない(と、思う)名古屋鉄道にやってきました。来年には中部国際空港も開港しますし、今名古屋圏は、なにかと注目を集めています。

早朝ののぞみで京都から名古屋へ、さらに東海道本線を岐阜へと向かいます。最初は、来年の3月一杯で全線廃止になる名鉄路面電車にやってきました。まだまだ車歴の若い車両もあるのに、廃止とは残念です。ところで名古屋鉄道は、民鉄では近畿日本鉄道に次ぐ路線長を誇る私鉄です。車両も、一般電車/路面電車気動車とバラエティ豊富です(JRに乗り入れていた気動車特急もありました)。しかし、気動車は既になく、路面電車も来年3月で見納めです。

早速岐阜市内に出てきました。名鉄と言えば、赤い路面電車。。。あれ?

赤くない車両も多いようです。少々すかされた気分です。

新岐阜からしばらく歩いて、徹明町電停にやってきました。ようやく赤い路面電車と対面できました。名鉄の電停はグリーンベルトが路面に書いてあるだけで、安全地帯もないようです。

このスタイル、いかにも路面電車という感じですね。

続いて新岐阜駅から豊川稲荷行き急行に乗車です。

新岐阜からおよそ30分で、一宮市島氏永駅にやってきました。この近くで最初の撮影開始です。駅から5分ほど歩くと、のどかな雰囲気の踏切があります。本線なので、ひっきりなしに列車がやってきます。ここだとずっといても飽きませんね。いい天気の下で、気持ちよく撮影できました。3000系急行です。

シングルアームパンタが装備されています。新しい形式でしょうか?

2枚扉、クロスシートの近郊型車両です。

こちらも通勤型の6000系です。

特急『パノラマスーパー』の増結用編成だけが、普通列車でやってきました。

名鉄の看板列車、『パノラマスーパー』1000系です。

昭和38年に衝撃のデビューを果たした元祖パノラマカー、7000系です。現在はなんと普通列車を中心に運用されています。日本一豪華な普通列車ですね(笑)。それにしても、40年前にこういうデザインの列車を作ってしまうとは。。脱帽の思いです。

最も原型に近い、増結不可の6両編成です。この行き先表示板は『逆さ富士』と呼ばれています。

島氏永で撮影し終えた私は、名鉄に詳しい方に電話でお勧めポイントを聞いてみました(最初からいろいろ調べておくべきでしたが。。。)岡崎に近い、名電山中駅の近くで名古屋本線が唯一峠を越えるとの事、早速行ってみました。島氏永駅で列車を待っていると、パノラマカー普通列車がやってきました。これがパノラマカーの前面眺望です。

次の駅で、特急パノラマスーパーに乗り換え、東岡崎に向かいます。東岡崎でさらに普通列車に乗り換え、名電山中にやってきました。のどかな、いい雰囲気の駅です。本線の駅とは思えないですね。

名電山中駅から歩いて数分、踏切を見つけたのでそこで撮影する事にしました。まずは3000系の急行列車です。

6000系の普通列車です。ところで名鉄普通列車は終点である豊橋まで顔を出しません。確か豊橋駅は1面だけのホームなので、ダイヤの混雑を避けるため、一つ手前の伊奈駅普通列車の終点です。普通列車の来ない終着駅というのも珍しいですね。

パノラマカーパノラマスーパーがやって来ました。

日が落ちてきたので、駅構内からの撮影に切り替えました。

名鉄電車を追いかけた今回の旅、目にも鮮やかなスカーレットの車体は、私の目にとても新鮮に映りました。初めて見た名古屋の私鉄は、強烈な個性に溢れる車両ばかりでした。7000系パノラマカーは今年で41年目になるそうです。今の目で見ても、新製車で通用しそうなスタイルは、登場当時の人々の目にはさぞ衝撃的に映った事でしょう。これからも元気で活躍してほしいものです。

Somewhere over the "SAKURA"えちぜん鉄道、桜模様

Somewhere over the "SAKURA"えちぜん鉄道、桜模様(2010年撮影アーカイブス)

皆様こん**は。近畿地方を通過した桜前線を追いかけ、北陸へやってきました。北陸といえば、、、やはり私にとってここえちぜん鉄道の桜を見ておかねばと思い、福井までの切符を発券してもらいました。今日の乗車は福井口駅からスタートです。まあまあの天気ですね。さてさて、桜はまだ咲いていてくれるでしょうか?

出発信号機です。えちぜん鉄道の踏み切りは、昔ながらの鐘を叩く方式で、【ジャンジャンジャン】と独特の音がします。

さて、福井口駅から勝山線の列車に乗り込み、永平寺口駅までやってきました。この重厚なつくりの駅舎をご覧ください。昭和初期の建築様式が垣間見えますね。えちぜん鉄道の有人駅はどこも昔ながらの木造建築です。ペンキもきれいに塗られて、大事にされている感が伝わってきますね。

ホームから駅舎を見るとこんな感じです。懐かしい、故郷の駅ですね。

かつて永平寺口駅は、東古市駅と呼ばれ、永平寺へ向かう路線と金津(現在の芦原温泉駅)に向かう路線、勝山に向かう路線のジャンクション駅でした。永平寺線、金津線ともに現在は廃止され、このホームのみが当時の面影を忍ばせてくれます。廃止されてかなりの年月が経っているはずですが、風化することなくほぼ完全な形で残っています。

永平寺口駅のもうひとつのトピックはこれ。大正3年に建てられた変電所(旧京都電灯古市変電所) の跡だそうです。赤いレンガつくりが重厚感たっぷりですね。当然現在は使用されていませんが、このように完全な形で残っている鉄道遺産は珍しいですね。窓やドアの上がゆるくカーブを描いているのが、東京駅丸の内口にも似た様式が見られますね。

変電所脇に咲いていた桜の木を一緒に、この桜の木は、かつてこの変電所が現役だった頃を知っているのでしょうか?

さて、鉄道遺産めぐりを終え、河川敷の撮影ポイントにやってきました。桜は半分以上散っておりますが、どうにか撮影できそうです。風が吹くたびに、桜吹雪が舞って、この上なき美しさです。

6000型がやってきました。

続いてえちぜん鉄道では1両しか保有していない5000型がやってきました。

続いて勝山線を奥へ、保田駅までやってきました。

保田駅を降りるとすぐ、ごらんのような見事な桜並木が広がっています。このあたりは、ちょうど今が満開のようです。私のほかにも2~3人の撮影者がいらっしゃいました。みんなで【綺麗ですね~】と感激しながらの撮影でした。

5000型を後追いで。すごいボリュームの桜並木ですね。

桜の花をアップにしてみました。

今度は違うアングルで、どのアングルでとっても、これだけ桜のボリュームがあると絵になります。

5000型が戻ってきました。遠くの山は冠雪しています。雪景色と桜を同時に見られるのは、雪国ならでわです。

さて、保田駅の桜を満喫したあとは、勝田駅までやってきました。この駅の造りもすごいですね。

勝山駅の待合室で見つけたコーヒーの販売機。一杯100円と安いわけではないですが、素朴な感じがしていいですね。

さあ、勝山駅から三国芦原線の某駅へ。ちょうど天気もよくなってきました。線路脇のシバザクラがきれいですね。今度はどこの景色を見に行きましょうか?

このシバザクラは、アテンダントさんによれば2年前に植え始めたとのこと。あと数年すれば、線路脇をもっときれいに彩ってくれることでしょう。

さて、福井方面の列車に乗り中角駅へ。車内でお話させていただいたアテンダントさんお勧めの景色があります。降り際に『いってらっしゃいませ、楽しんできてくださいね』と、声をかけて頂きました。

さて、中角駅付近のお勧めはこの光景。九頭竜川沿い一面に咲き誇る菜の花です。青空に黄色い色が映えますね。

この咲き誇る姿をご覧ください。まさしく春のひとコマです。

菜の花の中、やってくる列車を撮影です。まずは空を入れて。

続いて菜の花と列車をアップで。個人的にはこちらのほうが好みですが、皆様はいかがですか?

次のポイントに向かいます。偶然先ほどのアテンダントさんが乗務されており、笑顔で『お帰りなさいませ』と声をかけてくれました。

続いて福井口から勝山線に乗り換えます。轟付近の気持ちが広くなくような車窓です。

轟駅で列車を降りました。

線路脇の草に露がついて、まるで光の粒を散りばめているようです。

轟付近から、遠くまで見渡せるいい景色ですね。心のそこまで広々となります。

轟駅付近の町並みです。立派な蔵がいいですね。空気がやわらかく感じます。

あるお宅に咲いていた立派な桃の花です。

さて、轟からさらに勝山方面へ。この澄み切った青空をご覧ください。

保田駅の桜並木へまたやってきました。この見事さ!圧倒されそうです。名古屋から来られていた方とご一緒できました。月一回程度、えちぜん鉄道の沿線に来られているそうです。この沿線には、景色が有名なスポットは少ないですが、日常の何気ない風景の中に、時々はっとするような景色が広がります。その方も、それが魅力で来られているそうです。

桜並木の中を行く6000型の姿を捉えました。

続いてサイドから。いろいろなアングルで撮影したくなりますね。

広角で空を大きく入れてみました。

今度は縦位置で。

すばらしい絶景を楽しませてくれた桜並木に心の中でお礼を言って、帰途につきました。

保田駅です。よく見ると石積みの古いホームが見えますね。

花壇に咲いていたチューリップです。

折り返しの列車で、福井まで帰ってきました。途中、何度かアテンダントさんが車窓に向かって無邪気な笑顔で手を振っておられ、なにかと思えば、線路脇で手を振っている子供に答えていたのでした。よく気がつきますね。今日手を振ってもらえた記憶を、その子は決して忘れないでしょう。アテンダントさんのアナウンスを入れる回数、車内を巡回する回数、歩く速さや靴音、歩幅にいたるまで、全てが机上の計算やマニュアルではなく、彼女たちの経験から編み出された絶妙なタイミングなのです。全ては、『かゆいところに手が届くサービス』『自分がされて嬉しく感じるサービス』を目指して彼女たちが日夜積み上げてきたものから生まれたものです。彼女たちを評したこの言葉、『笑顔の力』を感じさせてくれる乗車時間でした。

福井まで帰ってきました。途中、ある駅でベビーカーの親子が列車を降りるとき、アテンダントさんが大声で駅員さんを呼んで、お母さん、走ってきた駅員さんと3人がかりでベビーカーを降ろし、運転士さんはベビーカーが無事安全な場所に下がるまで、発車を待っていました。他のお客さんもちょっとの間待たされていましたが、不愉快な顔をしている人は誰もなく、赤ちゃんが泣かないようにあやしている人もいました。発車間際、アテンダントさんが待ってくれていた乗客にも笑顔でお礼を言っていました。暖かい鉄道に乗っている人たちは、気持ちの温かい人が多いのですね。

えちぜん鉄道の旅、いかがだったでしょうか?今年も美しい桜にたくさん出会うことができ、充実した春を過ごすことができました。春のうららかな景色と、春の日差しのようにとても暖かいえち鉄。心の芯まで暖かくしてもらった旅行となりました。気持ちを暖かさで包んでくれて、心を優しさで満たしてくれるえち鉄。この北陸のあたたか美人鉄道に、人々の笑顔に会いに、そして故郷の季節の彩を感じに、皆様行ってみませんか?

『おかえりなさい』ふるさとへ。えちぜん鉄道の秋

『おかえりなさい』ふるさとへ。えちぜん鉄道の秋(2009年撮影アーカイブス)

皆様こん**は。いよいよ紅葉のシーズンも終わり、これから本格的な冬が始まりますね。さて、秋の締めくくりに私が今回やってきたのは、夏に訪問した福井県えちぜん鉄道です。この鉄道が今日に至るまでに背負ってきた様々な苦労は、前回の【小さな路線が起こした大きな奇跡。あったか美人鉄道の旅】のページをご覧になって下さい。今日は、日帰りで出発です。早速早朝の京都駅にやってきました。

今日私が選んだのは、サンダーバード1号です。最新型の683系4000番台車でやってきました。

私が確保していたのは、指定席の8号車。車内は満席でした。

京都から1時間30分で、福井に到着です。

早速えちぜん鉄道福井駅へ。今日も一日フリー切符を買い、出発です。丁度三国港行きの列車がやってきました。今日の天気予報は午前中のみ晴れ、午後から曇りとのこと。晴れている間に青空を収めておこうと思い、三国線の列車に乗車です。前回と同じく、アテンダントさんが笑顔で迎えてくれました。

目的地に到着するまでの間、しばしアテンダントさんの仕事ぶりを観察していました。
常に笑顔で乗客に接し、その笑顔にも、すこしも嫌味がありません。話してかけられている乗客の顔からも、ついつられて笑みがこぼれるような、そんな笑顔です。
ホームで待っている子供には、まるでこちらも子供のように無邪気に手をふり、降りた乗客には、扉が閉まってからももう一度深々とお辞儀をしています。駅が近づくたびに、『次のお出口は左側でございます』とジェスチャーを交えて案内し、要所要所で乗り換え案内、企画商品の案内、マナーを呼びかける案内、短い駅間距離で、どんなに細かくアナウンスをしても、乗客を待たせることはありません。
テープによるアナウンスのあと、マイクで降り口の案内をされ、最後にマイクを使わずに『ありがとうございました。またどうぞ』と声をかけておられます。これは本当にプロの仕事です。
アテンダントさんの仕事振りに感服しながら、下兵庫駅に到着です。私にも、ちゃんと『またどうぞ』と声をかけてくれました。

予報通り、いいお天気ですね!早速撮影地へ向かいました。

大関~下兵庫間の撮影地です。ここは景色がすごく広々としていて、管理人お気に入りのポイントです。空が高いですね。6000型がやってきました。

今度は2両編成の6000型です。畑には、茎の赤い植物が植えられています。まるで畑が紅葉しているようです。

続いて5000型がやってきました。

この透き通った青空をご覧下さい。気持ちいいですね。非常に爽快です。

さて、下兵庫駅に戻ってきました。遠くに見える山々が美しいですね。

さて、一旦福井に戻ることにしましょう。

福井口から、今度は勝山線に乗車です。ところが、空がみるみる曇ってきました。今日は天気予報通り午後から曇り、です。こんなときくらい外れてくれてもいいのに。。。と、いうことで、保田駅までやってきました。

保田駅が近づいた時、『左の窓をご覧ください、霊峰・白山が美しく見えております』とアナウンスが流れ、あわてて窓を見ると、空は曇ってはいますが、白山が堂々とした姿を見せてくれています。
少々興奮気味で、下車準備。アテンダントさんも私のテンションがあがっているのを感じているのか、最高の笑顔で『いい写真を撮ってきてくださいね』と送り出してくれました。
撮影を終えて折り返しの列車に乗ると、偶然先ほどのアテンダントさんが乗務されており、『お帰りなさいませ。いい白山は撮れましたか?』と声をかけてくれました。乗客のことをちゃんと気にかけてくれていて、こういうのは嬉しいですね。

保田駅近くで。後方にうっすら白山が見えているのがわかりますか?

続いて九頭竜川の流れを背景にしてみました。

保田駅近くで、きれいな銀杏並木がありました。目が覚めるような美しさです。

続いて比島駅へ。ここは列車の半数が通過する秘境駅です。

比島~発坂間の森の中へ入っていきました。列車が間近を通過します。

続いて夏にも訪れた下志比駅へ。ここの花壇は以前来たときと同じ美しさを守っていました。
今度乗った列車のアテンダントさんは、風邪でしょうか?マスクをしておられます。ちょっと話しかけにくい雰囲気があったのですが、アテンダントさんから『どこからいらしたんですか?』と声をかけていただきました。
京都からと言うと、そんな遠いところからありがとうございます、と言われたあと、これから来る冬の話題をいろいろ話してくれました。近年は、やはり昔に比べて雪は少なくなっているとのこと。2~3月くらいが一番雪が深いそうです。
今日は日帰りですか?最近日が短いので、暗くなるのが早くなりますから、気をつけて帰ってくださいね。また、どうぞいらしてください。お待ちしています。と、とても心地のいい声で、声をかけてくれました。この雰囲気、本当に貴重ですね。

そして越前竹原駅へ。

ここでは、冬野菜の収穫が行われていました。向こうの山の紅葉をもう少しきれいに撮りたかったのですが。。。

さて、日も落ちてきました。一旦福井へ戻ります。帰り道の車内で、すぐ降りるからとドア付近で立っていると、ロングシートに座っていた家族連れがわざわざ席を空けていただいて『どうぞ、座って下さい』と声をかけてくれました。次の駅で降りるつもりだったので、丁寧にお礼を言ってお断りしましたが、こういう何気ない気遣いが嬉しいですね。

さて、今度は三国線の田原町駅へやってきました。ここは同じ福井の私鉄である福井鉄道との乗り換え駅です。

福井鉄道側のホームです。この雰囲気、まるで昭和30年代ですね。

この駅名票をご覧下さい。

待合室です。本当に30年前に戻ったようです。待合室には、地元の方が寄贈された座布団がしいてある椅子が置いてありました。

ついに雨が降ってきました。ヘッドライトの光が暖かいですね。

折り返し列車で、福井まで戻りました。

福井駅までの通路に、クリスマスだからでしょうか。星のイルミネーションが輝いています。

福井からは、雷鳥42号で京都まで戻りました。特急雷鳥も、もうすぐお別れが迫っていますね。

晩秋に訪れたえちぜん鉄道の旅。いかがだったでしょうか?この路線でしか味わえない暖かさと優しさを、今回も満喫できた旅行となりました。前回も申しましたとおり、えちぜん鉄道は一度廃線となり、そこからの復活を遂げた路線です。悲しい別れを経験した人はその分人に優しくなれるのでしょうか?そんなところにも、この鉄道の優しさの秘密があるように思いました。この路線が再び運転を開始したとき、福井県知事から次の言葉が贈られたそうです【大きなものが失われると、その大切さがわかる。もう失われないよう、皆さんの力で支えてほしい】地元の人にも、ここを訪れる観光客にも、えちぜん鉄道はまるでそこが自分の家であるかのような安心感を与えてくれます。ここは、誰にでも『おかえりなさい』と声をかけてくれる、皆様が持っている心のふるさとのような鉄道だと思います。最後に、私が感銘を受けた歌の一節をご紹介させていただいて今回の締めくくりといたします。これからも季節ごとの表情を撮影しに、ここえちぜん鉄道に足を運びたいと思います

小さな路線が起こした大きな奇跡。あったか美人鉄道の旅

小さな路線が起こした大きな奇跡。あったか美人鉄道の旅(2009年撮影アーカイブ

皆様こん**は。早速ですが、皆様は『えちぜん鉄道』という私鉄をご存知でしょうか?JR北陸本線福井駅から、勝山市芦原温泉を結んでいるローカル私鉄です。細々と日常の足として活躍しているこの鉄道が、かつてその生命を突如奪われたことがあるということを、覚えておいでの方はおられるでしょうか?今回は、少々前置きが長くなりますが、私がここを訪れた動機を知っていただきたいので、何卒ご一読ください。

もともと、この路線は京福電気鉄道という京都と福井に路線を持つ会社が運行していたローカル私鉄でした。経営状況はよくないながらも、細々と沿線の方々の日常の足として頑張っていました。その『時』は、2000年12月17日。その日も、いつもと同じように列車は淡々と走り続けているはずでした。。。13時ごろ、東古市行きの普通列車がブレーキ故障により、分岐点で停車できずに暴走。対向列車と正面衝突したのです。運転士は即死。乗客24名が重軽傷の惨事となりました。原因は老朽化と繰り返されてきた溶接補修作業によるブレーキロッドの破断でした。さらに追い討ちをかけたのが、僅か半年後の2001年6月24日。発坂駅を発車した普通列車が対向の急行列車と正面衝突。重軽傷者24名。原因は、運転士の信号確認忘れによる人為ミスでした。僅か半年の間に、繰り返された大きな事故。列車自動停止装置(ATS)を装備していない点もマスコミに大きく叩かれました。国土交通省はこの事故を重く受け止め、この2回目の事故の翌日から、安全に運行できることを確認できるまで、全線運行停止を命令。代行バスを運転することになりました。そして再建に必要な資金が用意できず、京福電気鉄道は路線の運行を断念、廃止届けが提出されました。

その日から、利用者の方々の苦難の日々が始まったのです。代行バスが運転されるとはいえ、列車とバスとでは1台あたりの定員が大きく違い、乗れないケースが多発。かつ、バスの運転士には列車と同じダイヤで運行することが求められたため、その運転は非常にあらく、乗客は事故の恐怖に怯えていたそうです。バスは、いつも満員の乗客であふれ、町まで通院しなければならないお年寄りも、通院を断念されたこともあったそうです。沿線の方々は、あてにならないバスを諦め、自家用車に頼る人が増えました。ところが勝山市福井市を結んでいる唯一の動脈である国道416号線は、もともとそんなに広い道ではなく、鉄道があった頃に比べて3倍を超える交通量になって、渋滞が日常になってしまいました。そして最も恐ろしいのが冬。沿線は、かなりの豪雪地帯であるため、道路は通行不能が相次ぎ、沿線の勝山市陸の孤島になってしまいました。

『取り戻そう、私たちの鉄道を』数年にも及ぶ地元の熱意がついに行政を動かし、福井市と沿線市町村が出資し、第3セクターの『えちぜん鉄道』として、廃止から2年以上経った2003年10月19日に全線開業したのです。開業の準備で、再びきれいに磨き上げられた線路を見て、『ああ、電車が帰ってくるんやねぇ』と地元の人たちは涙したそうです。

そうして、この北陸の小さな鉄道は、『廃線からの復活』という大きな奇跡をやってのけたのです。
その奇跡の復活劇を知った私は、迷わず福井までの切符を発券してもらいました。

さて、早朝の京都駅にやってきました。

今日は普通列車を乗り継いで福井まで向かいます。早朝の1804M近江今津行きは、113系8連での運転です。後ろに湘南色の車両が連結されていたのですが、イスの座り心地はこの更新車のほうが上なので、こちらに乗り込みました。

案の定、早起きが祟って乗ったとたんに爆睡。目を覚ましたら近江今津が近づいていました。

ここで30分の待ち合わせのあと、4843M福井行きに乗り換えです。想像通り、521系の2連でやってきました。車内はあっという間に満席です。

近江今津から福井まで2時間30分。途中の線路脇で、カメラを構えている方が何人もいらっしゃいます。皆さん特急雷鳥狙いですね。またもうつらうつらと居眠りをしながら、福井に到着しました。

えちぜん鉄道福井駅は、JR福井駅を一旦出て50mほど進んだ先にあります。早速窓口で一日フリーきっぷ(800円)を買い求めました。ホームでは三国港行きの列車、愛知環状鉄道からやってきた6000系が待っていました。そして、、、『ご乗車ありがとうございます』と若い女性の声が。。。声の主は、このえちぜん鉄道の名を知らしめた『アテンダント』さんでした。アテンダントさんは、いわゆる車掌ではなく、列車の運行以外の業務(車内での切符の販売や観光案内)を主に担当する女性客室乗務員です。今は沿線にも認知され、えちぜん鉄道には欠かせない存在となりましたが、発足当初はなにせ前例のないことですから、試行錯誤の連続で、満足に常務をこなせることは少なく、乗客から野次られたり、叱られたり、会社に『何のためにアテンダントがいるのか?』『税金を払って運行している鉄道にアテンダントなんかいらない』という苦情が入ったり、彼女たちは想像を絶するほどの苦労と悔しい思いをしてきたそうです。苦労を重ね、悔しさをばねにして、彼女らはえちぜん鉄道を代表する存在になってゆきました。

アテンダントさんは、乗客一人一人の目を見て、挨拶してくれます。なにか、自然に列車の中の空気まで爽やかにしてくれますね。さて、とりあえず福井口で列車を一旦降り、アサガオの咲いている線路脇にやってきました。

朝顔と一緒に、これは1000型。自社発注車を阪神電鉄5100型の車体を利用して更新したものです。

続いて主力の6000型を。

1カット撮り終え、再び電車に乗って三国港駅へ。カメラを持っていた私を見て、アテンダントさんが『いい写真を撮ってくださいね』と声をかけてくれました。どこからいらしたんですか?こんな小さな鉄道に来ていただいてありがとうございます。楽しんでってくださいね。と話しかけてくれました。この雰囲気、車内にぱっと花が咲いているようですね。アテンダントさんに海の見える場所はないか聞いてみたところ、終点の三国港で海が見えるとの事。早速行ってみました。

駅の花壇できれいに手入れされている花々と列車を。この雰囲気、私は大好きです。

この青さをご覧ください。海はいいですね。心がゆったりとなります。

近くにあった跨線橋から、青空と海、そしてローカル線の車両を入れてみました。

そして今度は勝山線に乗り永平寺口へ。こちらのアテンダントさんもいろいろ話しかけてくれました。丁度乗ってこられたお年よりの手をとって、お久しぶりですね、体調はいかがですか?ちょっと痩せたんじゃない?気をつけてくださいね。こんな都会ではありえない日常が、ここでは普通に見ることができます。ここってやはり理想のローカル線ですね。上の写真にあった1000型は、よく揺れるので、アテンダントさんの評判はあまりよくないんだとか。永平寺口~下志比間の田園風景です。この長閑さ、やはりいいですね。気持ちがゆったりと癒されます。

続いて線路脇から、黄金色に彩られた稲穂が本当にきれいです。

白山連邦の山々を背に、いいなぁ、この風景。

そんなこんなで、写真を撮りながら下志比駅にやってきました。

ホームには地元の方がきれいに手入れされている花壇が。別の駅では、駅の掃除をされている方にも出会いました。全て、ボランティアでされているそうです。『私たちの鉄道』を愛されている気持ちが伝わってきますね。

丁度やってきた列車に花を添えて、きれいに撮ってあげなければ失礼ですね。緊張します。

先ほどアサガオと一緒に撮った1000型です。乗るなりアテンダントさんに、さっき写真を撮っておられた方ですね。いい写真は撮れました?と話しかけていただきました。いやいや、乗客のほうをよく見ていますね。気がついていれば、アテンダントさんと楽しげに話している自分がいました。こんなに自然に楽しく話ができるなんて、魔法にでもかけられたようです。

続いて小船渡駅へ。九頭竜川に映る山と青空が絶景です。

線路脇から列車を、この区間九頭竜川に沿って列車は走ります。鮎つりを楽しんでいる釣り人も多くいらっしゃいます。

そして発坂駅へやってきました。この木造の古い駅舎、いいですね。ちなみにえちぜん鉄道には切符の自動販売機がありません。自動改札機もありません。全てアテンダントさんや駅員さんが手売りで販売しています。乗客の顔がよく見えるように、という気持ちの表れだそうです。

雪国特有のポイントを雪から守るスノーシェッド。6000型がやってきました。

駅前に小さな花壇があったので、撮影してみました。どの駅も華やかに彩られてきれいです。駅近くで掃除をしていらした人がどこから来たんですか?と声をかけてくださいました。その方は2001年の事故を覚えておられ、本当にもう列車は来ないのだと思った、と言われてました。『電車が帰ってきてよかったですね』といったら、『本当によかった。電車が来ないと、軒先を掃除していても張り合いがない、ここで掃除しながら駅で待っている人としゃべるのが楽しいんだ』とおっしゃってました。

さて、電車は終点の勝山に近づいてきました。比島~勝山間のS字カーブです。

引き寄せてもう一枚。この青空、本当に来てよかったですね。

同じ場所でサイドから。白山連邦が見渡せます。秋から冬にかけて、一足先に冠雪した白山が絶景だそうです。その季節にも足を運んでみたいですね。

そして終点の勝山駅へ。ここで私も列車もアテンダントさんも休憩です。勝山駅構内には、京福電鉄時代の駅名票などが展示されており、ミニ博物館になっています。

その博物館の最大の見世物はこれ。大正生まれの電気機関車テキ6型。『テキロク』と呼ばれています。これでもまだ走ります!走れる電気機関車の中では日本最古のものだそうです。わざわざこの機関車を見に遠くから来られる方もいるそうです。

そして、ト61型という無蓋車。鉄道模型の世界のようですね。なんともクラシカルです。

ちなみに福井口方面では、このような車両も見られます。テキ521型。昭和20年代製造のこちらはまだ現役だそうですよ。

さて、志比境駅付近へ戻ってきました。またもアテンダントさんに、全部の駅で降りられているんですか?さっきも駅で見かけましたから、と声をかけていただきました。今日、車内以外の場所でアテンダントさんに目撃されたのは四度目です(笑)それをちゃんと覚えていて、声をかけていただけたのも四度目です。とにかく彼女たちは乗客一人一人への目配りと気配りがすごく細やかです。乗客一人一人の目を見て会話し、杖をついたお年寄りをホームに見かければ、真っ先に乗降の補助をし、子供を見かければ、列車の前に連れて行って前面の景色を見せてあげ、眠っている乗客を見ればそっと窓の日除けを降ろし、豊富な知識でどんな質問にも対応し、いつも乗っている乗客には、まるで知り合いのように親しく会話し、遠方からの乗客には、わかりやすく沿線の観光案内をしてくれます。彼女たちのサービスの質の高さは、日本でも屈指のものです。

続いて志比境~松岡間のSカーブへ。森をぬけて走る列車のイメージです。

アングルを変えてもう一枚

さて、今度は三国芦原線に乗車です。大関駅付近の田園地帯へ。この付近はコシヒカリの故郷だそうです。高い山がない代わりに、どこまでも広い田園が広がります。青空との取り合わせが最高ですね。5000型がやってきました。

続いて2両編成の6000型を。

さて、少々雲も出てきました。三国芦原線の絶景ポイント。九頭竜川橋梁です。春先は、かわらに菜の花が咲き誇って絶景だそうです。

だんだん夕暮れが近づいてきました。アテンダントさんも業務を終え、引き上げてゆかれました。今日一日、いろいろ驚きながらも幸せな気分にさせていただきました。まさにここは、『奇跡の路線』です。

夕焼けに黄金色に染まる稲穂がきれいですね。夏ならではの景色です。

この絶景!言葉を失います。こんないい景色を見れるなんて、来て本当によかったです。

いよいよ日没が迫ってきました。空もくっきり茜色です。

丸い太陽が、空を赤く染め上げています。今日一日、とてもいい一日でしたね。

さあ、そろそろ帰るとしましょう。列車のヘッドライトがやさしく感じられますね。

そして再び福井口駅へ。列車から漏れる光が暖かいですね。なにかホッとするような光です。

暗闇の中の駅の光が、まるで灯台のようですね。

少々長くなりましたが、えちぜん鉄道の旅、いかがだったでしょうか?ここには時速300キロで走る車両もなければ、長編成の特急列車もありません。テレビのキャラクターを描いたラッピング列車もなければ、ここしかないような希少な列車が走っているわけでもありません。なんの変哲もない1両編成の列車が、コトコトと走っているだけです。でも今回の旅をご覧になった方にはお分かりになったでしょう。ここには、他のどこにもない『優しさと暖かさ』、『笑顔』があります。私がずっと心に描いていた『人に寄り添う鉄道』『人に優しい鉄道』のひとつの完成形がこの路線にはあると思います。都会の喧騒に疲れたあなた。人の暖かさに触れたいと思っているあなた。若い女性と話したいと思っているあなたも、是非このえちぜん鉄道へお越しください。乗り終わったとき、アテンダントさんの『ご乗車ありがとうございました。またのご乗車を心よりお待ちしております』というアナウンスを聞いたら、きっと気持ちがふわりと軽く、とても幸せになることでしょう。この路線の魅力を是非体験していただけるよう、心からお勧めいたします。

賑わいの記憶に思いをはせる旅。道央一日散歩

皆様こんにちは。特急おおぞらです。今私用で北海道に来ております。休日の今日、関西では見られない、珍しい路線に来て見ました。なんとその路線は札幌から1時間程度の距離にありながら一日に2本した普通列車が運転されないという路線です。

早速札幌駅にやってきました。ホームの駅そばで軽く食事を済ませます。

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その路線の始発駅まで、快速エアポートを利用しました。一般席はロングシートであるため、別料金を払って指定席Uシートを奢ってみました。

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今回使用する切符はこれ。道央一日散歩切符です。特急列車には乗れませんが、フリーエリア内は一日乗り放題で2540円とかなりお得な切符です。最初私はこの切符の存在を知らず、普通に切符を買おうとしたのですが、みどりの窓口の駅員さんに教えてもらいました。ありがとう~♬

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さて、札幌からおよそ30分で千歳駅にやってきました

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今回乗車するのは石勝線です。石勝線は北海道内の大動脈ともいうべき特急街道ですが、普通列車は千歳~追分間がわずか4往復。その先の新夕張までが一日2往復という閑散路線です。やってきたのはキハ150型。JR世代の車両で、一部バスの廃車派生品を使用した気動車です。

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車内はこんな感じ。セミクロスシート配置で、そこそこ快適です。ただ、窓が開くのですが、上段が内側にスイングして開くだけ。窓を開けて、風を感じることはできません。

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行先表示です。サボ受けもありましたが、使用されていませんでした。

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千歳を発車して、南千歳までは電化区間を走り、それなりに幹線の雰囲気ですが、南千歳を発車すると、車窓風景はがらりと変わりました。

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いかにも北海道といった景色の中を進みます

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南千歳を出発しておよそ15分で追分駅に到着です。この駅は、後でまた訪問します。

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追分を発車すると、ますます北海道らしい風景が広がります。

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川端駅に到着。この川端駅と追分駅との間には、かつて東追分駅がありましたが、2016年に廃止されています。駅前は、そこそこ民家もありそれなりに乗客も期待できそうな感じがしました。でも、この区間は1日たった2往復。鉄道を利用する人もいないでしょうね。

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川端駅を発車すると、小さな峠道に差し掛かります

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続いて滝ノ上駅へ。川端駅と滝ノ上駅の間には滝ノ下信号場があります。10年ほど前ですが、この滝ノ下信号場で撮影した思い出があります。

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列車は終点の新夕張に到着しました。かつてこの駅から夕張に向かって、石勝線夕張支線が伸びていましたが、2018年に廃止されてしまいました。また東に向かって楓、登川まで支線も伸びていました。いずれも豊富な石炭を運搬する、ドル箱路線であったのですが、石炭の縮小により、いずれも廃止となってしまいました。かつて日本のエネルギーの要であった石炭。その当時の街の賑わいはいまでは想像もできないほどでした。

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長大なホームが、かつての栄光を忍ばせてくれます。

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こちらは新夕張駅の時刻表です。普通列車はご覧の通り一日3本しかありません。こんな列車をいったい誰が利用するというのでしょうか?

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折り返し列車で戻りました。なにせこれを逃すと、夜まで普通列車は来ません。途中の追分で途中下車です。

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追分駅の近くに、道の駅あびらがあり、列車が保存されているそうです。乗り継ぎ列車まで40分ほど時間があったので、行っていることにしました。しかし、道の駅は駅から小高い丘を登ったところにあり、ぜいぜい言いながらの登りました。なんと保存されていたのはキハ183型214号車。なつかしい国鉄時代のオリジナル塗装です。引退前に国鉄色に復元された車両が、ここで保存されているようです。緊急事態宣言中のため道の駅は休業。列車の中にも入ることはできませんでした。

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再び急坂を駆け下り、追分駅に戻ってきました。追分駅はかつて機関区があり、夕張や幌内の炭鉱からの石炭を苫小牧の港に運び、全国各地に輸送するまさしく要衝となる駅でした。今も残る広大な空き地が、当時の面影を忍ばせてくれます。

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さてここからは、室蘭本線岩見沢を目指します。この区間は日本で最後の蒸気機関車の営業運転が行われていた線区です。今は単行気動車が複線区間をのんびり走るというあまり他では見られない路線となっています。各駅を撮影してみました。まずは三川駅です。

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続いて古山駅

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そして由仁駅です

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由仁駅の周りは、ある程度民家もあり、そこそこ利用者もいそうでした。このあたりは石狩平野の肥沃な大地が広がります。稲作も行われています。

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ここから頭に栗という字がつく駅が続きます。まずは栗山駅です。

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続いて栗岡駅

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最後は栗沢駅です。

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丁度菜の花を栽培しているシーズンのようで、甘い香りとともに黄色一色の畑が広がっています。

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志文駅に到着しました

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追分から50分で、終点の岩見沢に到着です。

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石炭に沸き、活気のあったかつての北海道。その活気は遠い過去のものとなってしまい、まるで祭りが終わった後のような寂しい路線となってしまいました。でも、沿線に住む人がある限り、この路線はなくならないのでしょう。いつかこの地域に、また活気が戻ってくることを願って止まない管理人でした。